いつもの日常。
くだらない喧騒。
心地良い音色。
イライラする満員電車。
その全てが高渡にはどうでもよかった。
高渡には、今自分の人生を左右するかもしれない状況に陥っていた。
満員電車の中、押しつぶされそうになっているがそれどころではない。
高渡の目の前には女性が。
それも高渡が意識している椎名だ。
ひとたび触れようものなら、痴漢という汚名を着せられて一生近づくことができなくなってしまう。
今はまだ、遠くで眺める権利があるが痴漢となれば話は別だ。
遠くから見るだけで、痴漢が見るなと罵られることになるだろう。
というわけで現在、高渡はピンチに陥ってる。
行為を寄せる女子に極限まで近づいているというのに、触れることができない状況。
触れたら人生が終わってしまう。
意識が遠のくのを必死に抑えて、学校の最寄り駅まで耐えたのだった。
「なんかさー。今日めっちゃ電車空いてたんだよね」
休み時間に椎名の声がするが、高渡はそれどころではない。
電車内での疲労を、睡眠を取ることで回復させていた。
「とゆーかさ。他のところは混んでるのに私の周りだけ空いてたんだよね」
ホント不思議。と椎名が零す。
寝ながら体力を回復させる高渡は心の中で呟く。
――それは僕がキミを守っていたからさ。
「なぁ」
タクヤが高渡に声をかける。
あまりの出来事に高渡は声を失った。
表情がこわばったまま、机からタクヤのことを見上げる。
「電車って空いてた?」
高渡は勢いよく首を左右に振った。
タクヤは、ふーん。と言って椎名の元へ帰って行った。
「ちょっとー。なんであんなやつに声かけたのー?」
椎名の取り巻きの1人が遠くで言う声が聞こえる。
徐々に高渡の意識が遠のく。
眠気に襲われているからだ。
それでも最後のタクヤの言葉だけは、耳元で聞こえた気がした。
――ちょっと気になってね。
不思議なことが起こった。
タクヤが高渡に声をかけたあの日から、椎名とタクヤの距離が近づいたような気がする。
周囲からはお似合いだと言われているが、高渡の心中は穏やかではない。
付き合えるとは思っていないが、彼氏がいないことで安心できた部分もあった。
それが、あの2人が付き合ったとなると、どっからどう見ても完璧すぎる。
「ほんとくそみたいな世界だ……」
世界が無色に変わっていく。
いつもの発作だ。
しかも今日は掃除当番の日だ。
ペアはあのタクヤ。
「先に帰っててくれ」
タクヤがそう言うと、椎名は渋々その言葉を受け入れた。
「あぁ。悪い。俺たち付き合ってるんだ」
『知ってるよ』
高渡は心の中だけで返事をした。
「前にも一緒に掃除をしたの覚えてるかい?」
この言葉に高渡はハッとしてタクヤのことを見た。
驚いた。
こんなクラスの中心的存在が、誰からも存在を認識されていないであろう高渡のことを覚えていたことにだ。
よく思い出せばタクヤはいいやつだ。
こんな高渡に対しても対等に話しかけ、誰も一緒にやりたがらないから自ら一緒に掃除当番を引き受けていた。
それを、高渡が捻じ曲げて見ていただけなのだ。
『椎名さんが惚れるのも無理ない……』
「偶然かもしれないけど」
タクヤが話しの続きをする。
「その時だけなんだよね」
高渡には何のことかさっぱり分からなかった。
そのままタクヤの顔をずっと見る。
「いや。疑うわけじゃないんだ。けど、一緒に掃除をする日だけ彼女がストーカー被害に合わないんだよね」
言いにくそうに言うあたりに、タクヤのいい人が出ている。
つまりは、高渡が犯人なんじゃないかと言いたいわけだ。
「ぼ……僕じゃ……ない……」
断定的に言えなかったのは、自信がなかったからだ。
誰も信用してくれるわけがない。
「もちろん疑いたくないさ」
慌てたようにタクヤが言う。
次いで申し訳なさそうな表情も見せる。
「互いのためになんだ。ほんと偶然かもしれないけど、今朝も彼女の後ろに立っていただろ?」
誰かから聞いたのだろう。
「少し彼女から離れてくれないかな? 遠くから見ているのも知ってるんだけど、あれもやめてほしい。悪いけど嫌疑を晴らすためだと思って協力してくれないか?」
頼む。と頭まで下げられては、高渡に断る理由はないだろう。
●
高渡の世界は無色になった。
今までは、声をかけることはできなかったが、見ることはできた。
しかし、それすらも奪われてしまった。
『僕には生きる価値すらないのだろうか……』
「少し彼女から離れてくれないかな?」
タクヤの声が脳裏に再生される。
――僕は無実だ。
心の叫びは誰にも届かない。
『誰が信じてくれる?』
「くそみたいな世界め」
よく好きな人を失った後を、灰色の世界と表情する人がいるが、高渡にとっては何の色もない。
『誰からも必要とされない……孤独――』
たまたま偶然、椎名の後ろにいただけで疑われてしまう。
世界はとことん高渡に冷たかった。
