未観測領域――
第三層の中心。
暴走していた因果結晶は沈黙し、
空間は、まるで嵐の後の湖のように静まり返っていた。
だが、それは安定ではない。
ただの、止血だ。
カケルは立っていることができずに、その場に片膝をついた。
視界には、まだ第三層の情報が流れている。
だが、以前のように“全て”ではなかった。
――欠けている。
色の一部が、ない。
距離感が、曖昧だ。
自分の呼吸が、どこか他人事のように感じられる。
(……聞こえない。触れても、実感がない)
失った感覚は、
痛みとしてすら戻ってこなかった。
「……これが、代償か」
声は出た。
だが、その震えを自分で感じ取ることはできない。
シラサギが、そっと近づく。
彼女は何も言わず、カケルの手を取った。
その温もりも――
半分しか、分からない。
「……それでも」
彼女は静かに言う。
「あなたは、選べた」
「誰のために戦うか」
「何を、切り捨てるか」
●
第三層。
それは“万能”ではない。
むしろ、残酷なほどに不完全だ。
カケルの視界に、制御限界を示す数値が浮かぶ。
――【第三層操作限界:50%】
――【人格安定率:30%】
――【感覚喪失:主要四感の半分】
(半分……か)
思ったより、残っていない。
だが、思ったより、残っている。
第三層でできるのは、
局所的な修正だけ。
世界を救う力ではない。
世界の破綻を、“遅らせる”力だ。
・すべてを守ることはできない
・大きく変えれば、人格が崩れる
・守れば守るほど、自分が削れる
頭の奥で、声が重なる。
――フクロウの声。
「世界の安定を、最優先に」
――タカの声。
「お前が選んだなら、それを貫け」
(……どっちも、正しい)
だからこそ、逃げ場はなかった。
●
カケルは、ゆっくりと目を閉じる。
第三層の情報を、一点に集めた。
(……ここだ)
管理者側の陰謀。
排除プログラムの核。
学園に広がる、歪んだ因果。
それらを完全に消すことはできない。
だから――
切る。
世界の一部を、切り離す。
・局所空間を閉鎖
・排除プログラムを無効化
・影響範囲を最小化
代わりに――
いくつかの因果結晶が、自己消滅する。
それは、
誰にも観測されない小さな世界の可能性。
「……ごめんな」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
光の渦が収束し、
第三層の中心は、静寂に包まれた。
同時に――
カケルの内側で、何かが崩れ落ちた。
――【人格安定率:22%】
――【感覚喪失:拡大】
●
膝が、床につく。
もう一度、立ち上がろうとして――
力が入らない。
世界が、遠い。
「……世界は……」
言いかけて、言葉が途切れる。
シラサギが、すぐそばにしゃがみ込む。
「……守られたわ」
「完全じゃない。でも……壊れなかった」
タカが、少し後ろから言った。
「正解だったかどうかは分からない」
「でも――お前が選んだ」
その言葉は、
慰めではなく、責任だった。
カケルは、かすかに笑う。
「……ああ」
「だから、逃げない」
フクロウが近づき、
静かに翼を広げる。
「覚悟を持つ者だけが、観測者として生き残る」
「君は――その資格を得た」
祝福ではない。
評価でもない。
ただの、承認。
●
三人は、深層の中心で立ち上がる。
世界の一部は、確かに失われた。
だが、学園は守られ、
未観測領域は、ひとまず安定した。
それでも――
・カラスは生きている
・管理者は完全には止まっていない
・因果修正の反動は、必ず別の場所に現れる
そして何より。
カケルは、もう以前の自分には戻れない。
感覚を失い、
人格の縁に立ち、
それでも――選び続ける存在になった。
「……これからも戦う」
カケルは、静かに言った。
「誰のためか」
「何のためかは……その都度、俺が決める」
シラサギとタカが、隣に立つ。
三人は、同じ方向を見てはいない。
だが、同じ場所に立っている。
深層での戦いは、終わった。
けれど――
選択の代償を背負った物語は、
ここからが本番だった。
