どうせ勝てないので、魔王は勇者を楽しませることにしました~第22娯楽~

どうせ勝てない魔王

 最初の違和感はあまりにも些細だった。

「……ねえ、魔王様ってさ」

 食堂の片隅で誰かがぽつりと呟いた。

「……本当に、私たちの味方なのかな」

 声は小さかった。
 誰かを扇動するような強さはない。
 ただの疑問。素朴な不安の言葉。

 だが――
 その言葉は静かに空気に沈み、消えなかった。

 ●

 魔王は、基本的に人前にあまり出てこない。

 支配者として君臨するタイプでもなければ、演説をする存在でもない。
 むしろ、必要な時にだけ現れ、あとは静かに見守っている存在だった。

 だからこそ。

「……魔王様って、何を考えてるんだろうね」
「……私たちを、どうしたいんだろう」

 そんな言葉がいつの間にか増えていた。

 疑問自体は自然なものだ。
 今までもきっと誰かは思っていたはずだ。

 だが――
 「口に出される頻度」が明らかに変わっていた。

 ●

 レイは中庭の隅でその会話を聞いていた。

「……あの人って、結局……」
「……利用されてるだけじゃない?」

 心臓がひどく嫌な音を立てた。

 足が勝手にそちらへ向かう。

「……何の話をしてるんだ?」

 声をかけると話していた2人は、はっとしたように肩を震わせた。

「……いや、その……」
「……ごめん、悪口ってわけじゃなくて……」

 言い訳が曖昧だ。

 レイはゆっくりと息を吐いた。

「……魔王様がいなければ俺たちは……」
「……うん、分かってる。でも……」

 片方が視線を落としたまま言った。

「……分かってるけど……でも、もし……」

 言葉が途中で途切れる。

 その続きが怖すぎて言えない。

 だが、レイには分かってしまった。

 ――もし、魔王が裏切ったら?
 ――もし、魔王が私たちを守る気なんて最初からなかったら?

 言葉にならない疑念が、もうすでに芽を出していた。

 ●

 その日の夜。

 掲示板に1枚の紙が貼られていた。

 誰が貼ったのかは分からない。
 だが、朝にはすでに多くの人がそれを見ていた。

『魔王は本当に私たちのために動いているのか?』

 たった一行。

 署名もなければ、主張もない。
 ただの「問い」だった。

 だがそれは、あまりにも鋭かった。

 人々は、立ち止まり、見つめ、何も言わずに去っていく。
 誰も破らない。
 誰も剥がさない。

 まるで、その問いが“自分の中にもある”と認めてしまうようで。

 ●

 メルキオは、その紙を見て静かに目を伏せた。

「……始まりましたね」

 隣にいた側近が硬い声で言う。

「……あまりにも露骨です」
「ええ。だからこそ……効いてしまう」

 人は、「意見」よりも「問い」に弱い。

 断定されれば反発できる。
 だが、問いを投げかけられると、人は自分で考え始めてしまう。

 そして――
 疑念という種は、一度植えられると勝手に育つ。

「……どうされますか」
「……今はまだ動きません」

 メルキオは静かに答えた。

「これに過剰反応すれば、“何か隠している”と見える」
「……では」
「……耐えます」

 それが最も苦しい選択だと分かっていても。

 ●

 数日後。

 魔王が久しぶりに食堂に姿を見せた。

 空気が一瞬だけ張り詰める。

 視線が集まる。
 だが、そこにあるのはかつてのような「安心」ではなかった。

 探るような目。
 測るような沈黙。
 距離を測る空気。

 魔王はそれをすぐに察した。

 ……察してしまった。

 それでも、何も言わずただ静かに席につく。

 誰かが笑いかける。
 だが、その笑顔はどこか硬い。

「……魔王様」

 ひとりの少女が恐る恐る声をかけた。

「……はい?」

「……魔王様は……」

 少女は、言葉を探しながら震える声で続ける。

「……私たちを、見捨てたり……しませんよね?」

 その問いは無垢だった。
 悪意などどこにもなかった。

 だからこそ。

 周囲の空気が、一気に凍りついた。

 魔王は、少しだけ目を見開きそして――
 ゆっくりと、微笑った。

「……もちろんです」

 優しい声だった。
 嘘ではない。

 だが。

 その答えを聞いたはずなのに、
 空気は完全には和らがなかった。

 ●

 その夜。

 城の外れで、また2つの影が並んでいた。

「……効果は出ているようだな」
「ああ。“信じたい”と“疑ってしまう”の間で、皆が揺れている」

「象徴が揺らげば、居場所はもう保たない」
「……次は、どうする?」

 ひとりが静かに答える。

「次は……」
「“事件”を起こす」

「事故に見せかけた決定的な亀裂を」
「人々に、“やはり魔王は危険だ”と思わせる出来事を」

 ●

 その頃。

 メルキオは、ひとりで夜の回廊を歩いていた。

 窓の外には静かな城の風景。
 灯りはある。
 人もいる。

 だが。

 “安心”という空気だけが、確実に薄れていた。

「……いよいよ、ですね……」

 誰にともなく呟く。

 居場所は、まだ形としては残っている。
 だが――
 “信じる心”が、崩れ始めている。

 そしてそれは、
 どんな爆発よりも、どんな武器よりも、
 この城にとって致命的な崩壊の始まりだった。

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