どうせ勝てないので、魔王は勇者を楽しませることにしました~第26娯楽~

どうせ勝てない魔王

 朝の魔王城は、いつもより静かだった。

 誰もが起きているのに、
 誰もが話していない。

 廊下ですれ違えば、挨拶はある。
 だが、言葉は短く、目は合わない。

 ――昨日までは、違った。

 魔王城は、
 逃げてきた者たちが、ようやく肩の力を抜ける場所だった。

 今は違う。

 息はできるが、安心はできない。

 ●

 最初に異変が起きたのは、炊き出し場だった。

「……量、減ってないか?」

 誰かが、そう呟いた。

「いや、いつも通りだろ」

「でも、あの子……昨日より少ない」

 指さされたのは、包帯を巻いた子どもだった。
 前日の混乱で怪我をした、あの子だ。

「怪我人を優先しただけだ」

 そう説明する魔族の声が、わずかに強張る。

「……本当に?」

 疑いは、小さな棘として刺さった。

 抜かれないまま、
 別の誰かの口へと移っていく。

 ●

 昼過ぎ。

 今度は、倉庫で騒ぎが起きた。

「道具が壊れてる!」

「昨日は普通に使えたぞ!」

「……誰か、わざとじゃないのか?」

 その言葉に、周囲が凍る。

「誰が?」

「……魔族、じゃないのか」

 誰も名指ししていないのに、
 視線だけが、同じ方向へ向いた。

 レイは、その場に割って入った。

「待てよ!
 昨日の破壊工作、まだ残ってるだけかもしれないだろ!」

「でもさ」

 人間の一人が、低い声で言った。

「魔王様が“全部守った”って話、
 正直……出来すぎてないか?」

 レイの喉が、ひくりと鳴る。

「……何が言いたい」

「いや、別に。
 ただ、もし――」

 言葉は、そこで止まった。

 だが、止めたのは配慮ではない。
 確信が、まだ形になっていないだけだった。

 ●

 夕方。

 魔王は、城内を歩いていた。

 誰かを探しているわけではない。
 ただ、空気を確かめていた。

 足を止めるたび、
 人も魔族も、ほんの一瞬だけ身構える。

 ――それが答えだ。

 メルキオが、静かに隣に並ぶ。

「……広がっています」

「そうだな」

「まだ暴力ではありません。
 ですが、“正義”の匂いがします」

 魔王は、わずかに目を伏せた。

 正義。
 それは、疑いを正当化する言葉。

 誰かを責める時、
 最も使いやすい免罪符。

「止められるか?」

「……いいえ」

 メルキオは、はっきりと答えた。

「止めれば止めるほど、
 “隠している”と受け取られます」

 魔王は、苦笑した。

「疑われるというのは、
 説明しても、黙っても、負けなのだな」

 ●

 夜。

 城の片隅で、小さな集まりができていた。

 人間と、魔族。
 混ざり合ってはいるが、距離はある。

「……もし、次に討伐部隊が来たら?」

 誰かが言った。

「魔王様は、また守るって言うだろ」

「でも、今度は?」

 沈黙。

「……今度は、
 “魔王がいるから狙われた”って、
 みんな思うんじゃないか?」

 誰も否定しなかった。

 それは、もう仮定ではなかった。

 ●

 その夜、魔王は眠らなかった。

 城の最上階で、ただ座っていた。

 ここにいる全員を、守りたいと思った。
 だが同時に、理解してしまった。

 守る存在は、依存を生み、
 依存は、やがて憎しみに変わる。

 メルキオが、低く告げる。

「……次は、“原因探し”が始まります」

「怪我人か?」

「ええ。
 誰かが傷ついた時、
 “誰のせいか”を探し始めるでしょう」

 魔王は、ゆっくりと頷いた。

「その時が……分岐点だな」

 疑いが、
 完全に暴力へと変わる、その直前。

 第26娯楽は、そこで終わる。

 まだ血は流れていない。
 だが――

 城の中で、確かに“刃”は研がれ始めていた。

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