第27娯楽:その怪我は、誰のせいか
悲鳴が上がったのは、朝だった。
魔王城の中庭。
洗濯物が風に揺れ、いつも通りの一日が始まるはずだった時間。
「――誰か! 来て!」
駆けつけた時、
石畳の上に倒れていたのは、少年だった。
名はユル。
魔王城に身を寄せて、まだ一ヶ月も経っていない。
腕から血を流し、呼吸が浅い。
「階段から……落ちたみたいです……」
そう報告した声は震えていた。
魔族の治療係がすぐに駆け寄る。
命に別状はない――はずだった。
だが。
「……おかしい」
治療係が、低く呟く。
「これは……ただの転落じゃない」
その言葉が、
火種だった。
●
ユルは助かった。
だが、腕には後遺症が残るかもしれない。
以前のように力仕事はできない、と。
それを聞いた瞬間、
誰かが、言った。
「……かわいそうに」
優しい言葉だった。
だが、その次が続いた。
「……でも、なんでここで?」
「ここ、階段は整備されてたはずだろ」
「……魔族の管理、甘くないか?」
否定は、すぐに返ってきた。
「管理は完璧だった」
「じゃあ――」
沈黙。
そして、
誰かが、ついに口にした。
「……魔王様が、何かしたんじゃないか?」
空気が、凍る。
●
レイは、その言葉を聞いた瞬間、叫びそうになった。
「ふざけるな!」
声が裏返る。
「魔王様が、そんなことするわけないだろ!」
「……でも」
人間の一人が、視線を逸らしながら言う。
「昨日から、城の中……おかしいだろ」
「物が壊れて」
「怪我人が出て」
「討伐部隊が来るって話もあって……」
言葉は、点が線になるように繋がっていく。
「全部、魔王様がいるからじゃないか?」
レイの喉が、鳴った。
違う。
そんな単純な話じゃない。
でも――
説明するほど、疑われる空気だった。
●
魔王は、その場に現れた。
騒ぎを止めるためではない。
逃げなかっただけだ。
視線が、集まる。
期待と、恐れと、
そして――責める準備をした目。
「……魔王様」
誰かが言った。
「この怪我……どう思われますか」
魔王は、すぐには答えなかった。
倒れた少年の方を見る。
眠っている顔は、まだ幼い。
「偶然だ」
そう言えば、
楽だったかもしれない。
「事故だ」
そう言えば、
場は収まったかもしれない。
だが、魔王は。
「……分からない」
そう言った。
ざわめきが走る。
「分からない……?」
「責任を……」
「逃げてるんじゃ……」
魔王は、言葉を重ねなかった。
弁明しない。
否定もしない。
ただ、静かに告げる。
「だが、一つだけ言える」
空気が張り詰める。
「私は、この城にいる誰かを、
傷つけるために存在してはいない」
それだけだった。
それだけなのに――
納得した者は、少なかった。
●
夜。
城の外れで、密やかな会話が交わされていた。
「……討伐部隊、動くかもしれない」
「今なら、“守るため”って理由が立つ」
「子どもが怪我した。
それだけで、十分だろ」
正義は、もう準備を終えていた。
●
魔王は、城の最上階に立っていた。
メルキオが、低く言う。
「……疑いは、確信に変わりつつあります」
「そうだな」
「弁明すれば、まだ――」
「いや」
魔王は、首を振った。
「弁明は、
“信じている者”にしか届かない」
視線の先に、
城の中の灯りが見える。
ここで笑った者たち。
泣いた者たち。
救われたと、言ってくれた者たち。
「……次は、来るな」
「ええ」
メルキオは、静かに頷く。
「討伐部隊です」
そして、もう一つ。
「……その時、
魔王様が“原因”として扱われます」
魔王は、わずかに笑った。
「それでいい」
誰かが守られるなら。
誰かが生き延びるなら。
疑われる役目を、引き受ける覚悟はできている。
第27娯楽は、ここで終わる。
怪我は、
まだ一人分だった。
だが――
世界はもう、
“魔王を裁く理由”を手に入れてしまった。

