その鵲は、空の裏側を知る~5章 観測段階・第二層 ――暴走~

その鵲は空の裏側を知る

 異変は、朝から始まっていた。

 魔法学園《アヴィア》の中庭。
 いつもなら軽やかに跳ねる噴水の水が、空中で凍りついたように静止している。

 水滴ひとつひとつが、重力を忘れたかのように宙に浮かび、陽光を歪に反射していた。

「……止まってないか?」
「結界? いや、魔法陣も出てないぞ」
「冗談だろ……」

 生徒たちのざわめきは、どこか現実感を欠いている。
 どこか、他人ごとのような……

 その中心で――
 カケルは、ただ一人立ち尽くしていた。

 彼の視界は、赤に埋め尽くされている。

 ――【時間流量 不均衡】
 ――【因果接続 部分断裂】
 ――【修正優先度 超過】

(……多すぎる)

 これまで見てきた“エラー”とは、
 ”密度”が違う。

 世界全体が、悲鳴を上げている。

 頭が、内側から割れそうに痛む。
 こめかみの奥で、何かが脈打っている。

 昨夜。
 フクロウが残した、白い羽根。

 それに触れた瞬間――
 《エラー検知》は、「使う力」ではなく「常態」になった。

 見ようとしていないのに、勝手に見えてしまう。

 閉じようとしても、視界が閉じない。

 ――【観測段階:第二層 移行】

「……え?」

 声に出す暇もなかった。

 世界が、軋んだ。

 空間が、ほんのわずかにズレる。
 人の動きが、数コンマ遅れて“再生”される。
 まるで、通信制限がかかった動画のように……

(……時間が、ズレてる)

 現実が、動画の編集ミスみたいに歪んでいる。

「カケル!」

 スズメの声が届く。
 だが――

 一拍遅れて、同じ声が重なる。

「大丈夫か!?  顔色、やばいぞ!」

 焦りも、心配も、
 すべてが“二重”。

「スズメ……離れて……!」

 叫んだ瞬間。

 カケルの視界が、完全に裏返った。

 ●

 世界は、
 数値と線でできていた。

 人間は、
 行動予測の軌跡を背負った存在。

 建物は、
 耐久値と修正履歴の集合体。

 空は、
 果てのない処理領域として広がっている。

(……これが、第二層)

 理解と同時に、
 強烈な拒絶感がこみ上げる。

 そして――
 見えてしまった。

 学園の地下深く。

 意図的に塗りつぶされたような、
 黒い“空白”。

 ――【未観測領域】
 ――【アクセス拒否】

(……あそこは、何だ)

 その瞬間。

 脳を直接殴られたような激痛。

「――っ!!」

 膝から崩れ落ちる。
 視界が明滅し、赤い警告が洪水のように押し寄せる。

 ――【観測過多】
 ――【人格安定率 低下】
 ――【感覚遮断 処理開始】

 音が、消える。

 色が、薄れる。

 触覚が、水の中に沈むように遠のく……

(……やばい)

(このまま、見続けたら――)

 ――【第二層 暴走】

 その表示が浮かんだ瞬間。

 世界の“修正”が、カケルを中心に発動した。

 時間が、巻き戻る。

 噴水の水が逆流し、割れた石畳が、何事もなかったように元に戻る。

 人々の位置、立ち位置、視線の向き――

 すべてが、強制的に再配置される。

「な、何が……!?」
「今の……夢……?」

 誰も、正確に覚えていない。

 世界は、彼らの記憶ごと、修正した。

 数人を除いて……

 ●

「……やはり、早すぎたか」

 黒いローブが、視界に差し込む。

 カラスが、地面に倒れたカケルを見下ろしていた。

「聞け、カケル」

 耳は、ほとんど機能していない。
 にも関わらず、カラスの言葉はカケルの意識に直接注ぎ込まれていった。

「今のお前は――世界にとっての“危険物”だ」

 冷たい断定。

「第二層は、構造そのものを見る段階だ。本来、人間が触れていい領域じゃない」

 カラスが指先で空をなぞる。

 一瞬だけ。
 “線”が、可視化される。

「このまま行けば、お前は――”観測者”ではなく、”修正対象”になる」

 それはつまり――

(……消される)

 その恐怖が、はっきりと形を持った、そのとき。

「――それは、あなたの都合でしょう」

 凛とした声。

 白い影が、カラスの前に立つ。

 シラサギだった。

「彼は、選ばれた。それを“エラー”として処理するのは、間違っている」

 カラスは、ほんの一瞬だけ目を細める。

「……お前も、どこまで知っている?」

「十分すぎるほどに」

 二人の間で、空間そのものが軋む。

 だが――
 カケルの意識は、そこで途切れた。

 ●

 夢か、意識の底か。

 そこには、巨大な鳥籠があった。

 無数の世界が、羽根のように吊り下げられている。

 そして中央。

 月のような目を持つ存在――
 フクロウが、静かにこちらを見ていた。

「第二層に到達したか、観測者」

 声に、ほんのわずかな感情。

「想定より、ずっと早い」

「……俺は……どうなる……?」

「二つに一つだ」

 淡々と。

「壊れるか――それとも、境界を越えるか」

 鳥籠の鍵が、金属音を立てて揺れた。

「次に目覚めたとき、君はもう“普通の生徒”ではいられない」

 闇が、閉じる。

 ●

 目を覚ましたとき、カケルは医務室のベッドにいた。

 耳は、ほとんど聞こえない。

 だが――
 視界だけが、異様なほど澄んでいる。

 世界が、くっきりと輪郭を持って見える。

 ステータスウィンドウが、静かに開いた。

 ――【観測段階:第二層 固定】
 ――【不可逆変化:一部受理】

 最弱の鳥は、もう戻れなくなった。

 だが同時に――

 この世界が、”檻の中”にあるという事実を、はっきりと見てしまった。

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