その鵲は、空の裏側を知る~第11章 観測段階・第三層~

その鵲は空の裏側を知る

 未観測領域の中心――
 無数の光の箱が、呼吸するように明滅する巨大な空洞。

 カケルは、その中央に立っていた。

 深呼吸をしようとして、
 自分の呼吸音が聞こえないことに気づく。

(……もう、完全に……)

 視界の端で、赤い警告が重なり合う。

 ――【第三層接近】
 ――【人格安定率:70%】
 ――【観測負荷:極大】
 ――【推奨:撤退】

「準備はいい?」

 シラサギの声が、カケルの耳に遅延を伴って届く。

「……行くしかない」

 答えた声は、自分のものなのに遠かった。

 カケルは自分の感覚が自分のものでなくなっていくことに、恐怖を覚えながら後戻りできないことに、覚悟をもって挑んでいくのであった。

 ●

 カケルが手を伸ばした瞬間。

 光の箱が、一斉に反応した。

 空間が裏返る。
 上下も、前後も、意味を失う。

 重力は方向を持たず、
 時間は層になって重なり合う。

 そして――
 世界が、情報になる。

 人間は、可能性の束。
 魔法は、演算式。
 空間は、可変パラメータ。

 過去・現在・未来が、
 同時に“読める形”で流れ込む。

(多い……多すぎる……)

 脳が悲鳴を上げる前に、意識が削られ始めた。
 頭が割れそうになる。

 ――自分の名前が、薄れる。
 ――感情の輪郭が、溶ける。

「カケル!」

 シラサギの声。

 だがそれすらも、1つの信号として処理されかける。

(……違う)

(俺は……人間だ)

 カケルは、意識を一点に”縫い止めた”。

「……見える」

 声にならない呟き。

「全部……見えてる……」

 ●

 彼の視線は、一つの光の箱に引き寄せられる。

 そこには――
 この学園の、世界の、すべてがあった。

 ・フクロウが、どれだけ多くの世界を見送ってきたか
 ・カラスが、いつから“処理”を正当化したのか
 ・シラサギが、自分を削りながら従ってきた理由
 ・そして――自分が、なぜ“観測者”なのか

(……偶然じゃない)

(俺は……世界が、自分を疑うために生んだ目だ)

 第三層は、「知る」場所ではない。

 「書き換えられる」場所だ。

 カケルの思考が、ほんの一行世界に触れた。

 因果が、僅かにずれる。

 ――【因果操作:初期成功】
 ――【代償:聴覚 完全消失】
 ――【感覚遮断:拡張】

 音が、完全に消えた。

 世界は、
 完全な無音の中で、
 異様なほど鮮明になった。

(……安いな)

(世界を動かす代償が、俺の感覚だけだなんて)

 カケルは本当にそう思い、感覚が少しずれていくのを自覚していなかった。

 ●

「……やっぱり」

 シラサギが、息を飲む。

 第三層の観測者は――
 もう“人”ではない。

 ・第二層:世界を読む
 ・第三層:世界に触れる
 ・その先:世界の外側に立つ

 カケルは、自分の手を見る。

 見えている。
 だが、そこに「触れている」感覚がない。

「俺……」

 言葉を探す。

「世界を……少しじゃない。本気で、動かせる」

 おとぎ話によくあるような、”世界征服”ができてしまう感覚。
 それが、何より恐ろしかった。

 シラサギは、彼の肩にそっと手を置いた。

「大丈夫」

 だがその手の温もりすら、
 カケルには“数値”としてしか届かない。

(……このままじゃ)

(彼女のことすら、情報としてしか見られなくなる)

 ●

 空間の奥で、
 赤い光が脈打った。

 管理者が仕掛けた、
 因果結晶。

「最後の確認だ」

 無言の圧。

 ――壊せば、世界が傷つく
 ――触れれば、観測者が壊れる

 第三の選択肢はない。

(……いや)

(ある)

 カケルは、
 “結果”ではなく、
 “過程”を書き換えた。

 因果の流れを、
 ほんの数行、修正する。

 結晶は――
 爆発しない。
 だが、消えもしない。

 “無害なまま、存在し続ける”。

 ――【観測段階・第三層 覚醒】
 ――【人格安定率:50%】
 ――【不可逆変化:受理】

 世界が、静止する。

 次の瞬間――
 何事もなかったように、再開した。

 ●

 カケルは、深く息を吐いた。

 音はない。
 だが、確かに呼吸している。

「……これで」

 彼は言った。

「俺は、選ばされる側じゃない」

 ・従うか
 ・壊すか

 その二択しか与えない世界に、
 第三の可能性を見せる。

 シラサギは、初めて安堵の笑みを浮かべた。

「覚醒、ね……」

「でも」

 カケルは、自分の赤く光る視界を閉じる。

「もう、戻れない」

 光の箱が、静かに道を開く。

 第三層の先――
 世界の境界へ。

 最弱の鳥は、
 ついに空の“裏側”に立った。

 そしてこの瞬間から。

 彼は、世界にとっての観測者ではなく――
 ”対話者”になったのだった。

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