未観測領域の中心――
無数の光の箱が、呼吸するように明滅する巨大な空洞。
カケルは、その中央に立っていた。
深呼吸をしようとして、
自分の呼吸音が聞こえないことに気づく。
(……もう、完全に……)
視界の端で、赤い警告が重なり合う。
――【第三層接近】
――【人格安定率:70%】
――【観測負荷:極大】
――【推奨:撤退】
「準備はいい?」
シラサギの声が、カケルの耳に遅延を伴って届く。
「……行くしかない」
答えた声は、自分のものなのに遠かった。
カケルは自分の感覚が自分のものでなくなっていくことに、恐怖を覚えながら後戻りできないことに、覚悟をもって挑んでいくのであった。
●
カケルが手を伸ばした瞬間。
光の箱が、一斉に反応した。
空間が裏返る。
上下も、前後も、意味を失う。
重力は方向を持たず、
時間は層になって重なり合う。
そして――
世界が、情報になる。
人間は、可能性の束。
魔法は、演算式。
空間は、可変パラメータ。
過去・現在・未来が、
同時に“読める形”で流れ込む。
(多い……多すぎる……)
脳が悲鳴を上げる前に、意識が削られ始めた。
頭が割れそうになる。
――自分の名前が、薄れる。
――感情の輪郭が、溶ける。
「カケル!」
シラサギの声。
だがそれすらも、1つの信号として処理されかける。
(……違う)
(俺は……人間だ)
カケルは、意識を一点に”縫い止めた”。
「……見える」
声にならない呟き。
「全部……見えてる……」
●
彼の視線は、一つの光の箱に引き寄せられる。
そこには――
この学園の、世界の、すべてがあった。
・フクロウが、どれだけ多くの世界を見送ってきたか
・カラスが、いつから“処理”を正当化したのか
・シラサギが、自分を削りながら従ってきた理由
・そして――自分が、なぜ“観測者”なのか
(……偶然じゃない)
(俺は……世界が、自分を疑うために生んだ目だ)
第三層は、「知る」場所ではない。
「書き換えられる」場所だ。
カケルの思考が、ほんの一行世界に触れた。
因果が、僅かにずれる。
――【因果操作:初期成功】
――【代償:聴覚 完全消失】
――【感覚遮断:拡張】
音が、完全に消えた。
世界は、
完全な無音の中で、
異様なほど鮮明になった。
(……安いな)
(世界を動かす代償が、俺の感覚だけだなんて)
カケルは本当にそう思い、感覚が少しずれていくのを自覚していなかった。
●
「……やっぱり」
シラサギが、息を飲む。
第三層の観測者は――
もう“人”ではない。
・第二層:世界を読む
・第三層:世界に触れる
・その先:世界の外側に立つ
カケルは、自分の手を見る。
見えている。
だが、そこに「触れている」感覚がない。
「俺……」
言葉を探す。
「世界を……少しじゃない。本気で、動かせる」
おとぎ話によくあるような、”世界征服”ができてしまう感覚。
それが、何より恐ろしかった。
シラサギは、彼の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫」
だがその手の温もりすら、
カケルには“数値”としてしか届かない。
(……このままじゃ)
(彼女のことすら、情報としてしか見られなくなる)
●
空間の奥で、
赤い光が脈打った。
管理者が仕掛けた、
因果結晶。
「最後の確認だ」
無言の圧。
――壊せば、世界が傷つく
――触れれば、観測者が壊れる
第三の選択肢はない。
(……いや)
(ある)
カケルは、
“結果”ではなく、
“過程”を書き換えた。
因果の流れを、
ほんの数行、修正する。
結晶は――
爆発しない。
だが、消えもしない。
“無害なまま、存在し続ける”。
――【観測段階・第三層 覚醒】
――【人格安定率:50%】
――【不可逆変化:受理】
世界が、静止する。
次の瞬間――
何事もなかったように、再開した。
●
カケルは、深く息を吐いた。
音はない。
だが、確かに呼吸している。
「……これで」
彼は言った。
「俺は、選ばされる側じゃない」
・従うか
・壊すか
その二択しか与えない世界に、
第三の可能性を見せる。
シラサギは、初めて安堵の笑みを浮かべた。
「覚醒、ね……」
「でも」
カケルは、自分の赤く光る視界を閉じる。
「もう、戻れない」
光の箱が、静かに道を開く。
第三層の先――
世界の境界へ。
最弱の鳥は、
ついに空の“裏側”に立った。
そしてこの瞬間から。
彼は、世界にとっての観測者ではなく――
”対話者”になったのだった。
