その鵲は、空の裏側を知る~第6章 シラサギは、最初から知っていた~

その鵲は空の裏側を知る

 ――世界は、完璧ではない。

 それどころか。
 最初から、壊れかけている。

 魔法学園《アヴィア》の医務室前。
 白い扉の前で、シラサギは足を止めた。

 この向こうで、カケルは眠っている。

 第二層に到達し、いくつかの感覚を失い、それでもなお――
 “観測者”として世界に固定された少年。

(……早すぎる)

 胸の奥で、小さく、だが確かな痛みが広がる。

 彼女は静かに目を閉じた。

 思い出すのは、まだこの学園に入る前――
 いや。

 この世界に生まれ落ちた“直後”のこと。

 ●

 シラサギは、普通の人間ではない。

 それは比喩でも、自嘲でもない。

 事実として、彼女は“完全な人間”として生成されていない。

 彼女が目を開いた瞬間。
 世界はすでに、構造として理解可能なものだった。

 地面の下に流れる因果。
 空に重なった時間層。
 魔法という名で隠された、演算と補正の網。

 世界は、層でできている。

 表層――
 人々が笑い、泣き、「現実」と呼ぶ場所。

 中層――
 魔法、因果、時間が調整される領域。

 深層――
 管理者たちが触れる、世界の骨組み。

 そしてさらに奥。

 設計段階で“見なかったこと”にされた領域。

(フクロウ……)

(あなたたちは、そこを隠している)

 彼女に与えられたスキルは、《同調》。

 世界に溶け込み、“正しい存在”として振る舞う能力。

 違和感を消し、ズレを感じさせず、常に最適解を選び続ける力。

 だから彼女は――

 首席であり、優等生であり、誰からも疑われない。

 だが、それは祝福ではない。

 《同調》の本質は、世界の意志に逆らえないということ。

 修正命令が下れば、理由を考える前に、身体が従う。

(だから、私は……)

 シラサギは、そっと拳を握りしめた。

 自分が“選ぶ側”に立てないことを、誰よりも知っていた。

 ●

 初めてカケルを見たとき。

 彼女は、一瞬で確信した。

(……この人は、外側の存在)

 彼は、世界に馴染んでいない。

 魔力の流れが、因果の接続が、わずかに、しかし決定的にズレている。

 それはエラーではない。

 観測点。

 世界が自分自身を見つめ直すために、偶然を装って生み出した“目”。

(だから、あなたは選ばれた)

 でも、それは同時に――
 残酷な役割でもある。

 観測者は、世界を知るほど、世界にとって“不都合”になる。

 そして。

 “不都合”は、必ず修正される。

(フクロウたちは……最初から、そこまで織り込んでいる)

 ●

「……私は、間違っていた」

 医務室の前で、シラサギは小さく呟いた。

 カケルを守ろうとした。

 少しでも、穏やかな速度で真実に近づけようとした。

 けれど結果は――
 加速。

 第二層。
 構造を見る目。

 それは、世界の“嘘”を否定する力。

(もう……戻れない)

 医務室の中から、かすかに聞こえる、規則正しい呼吸。

 それを確認してから、彼女は静かに背を向けた。

 歩き出す。

 足音は、いつもと変わらない。

 向かう先は、学園地下。

 封鎖区域。

 誰にも知られていない、未観測領域の入口。

(カラス……)

(あなたは、どこまで知っている?)

 ●

 シラサギは知っている。

 この世界が、無数の“試作”の一つであることを。

 安定しなければ、記録され、切り捨てられることを。

 そして――

 観測者が、一定の段階に達した世界は、必ず“選別”されることを。

(カケル……)

 彼女は、初めて祈った。

 世界のためでもなく、
 管理者のためでもなく。

 ただ、一人の少年のために。

 シラサギは、優雅に――
 だが確かに、翼をたたむ。

 次に羽ばたくとき。
 彼女はもう、
 “従順な存在”ではいられない。

 世界の真実を知る者は、いつだって――

 世界の敵になる。

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