学園地下――
普段は封鎖され、地図にも記されていない扉。
そこには「禁止」というよりも、
最初から存在しないものとして扱われている空間があった。
重い音を立てて扉が閉じる。
その瞬間、空気の質が変わった。
「……ここが、未観測領域」
カケルの呟きは、
音としてではなく、意味だけが空間に残る。
視界に浮かぶのは、
これまで見たことのない“線”。
魔力でも、因果でもない。
それらを束ね、無理やり押し込めたような歪な波形。
(……世界の、縫い目だ)
触れてはいけないものを、
無理に縫い止めた痕。
「気をつけて」
シラサギの声は低く、落ち着いている。
「ここは、普通の人間では“認識できない”領域。見えた瞬間に、精神が拒絶反応を起こす」
「……でも、俺には見えてる」
「そう。だから一緒に来た」
その言葉が、妙に重かった。
●
一歩、足を踏み出す。
床が――
柔らかい。
だが、沈まない。
感触だけが、遅れて追いついてくる。
視覚と触覚が、噛み合っていない。
(……時間が、ズレてる)
歩くたびに、自分の身体が“一拍遅れて”存在を確定させる。
ステータスウィンドウが、淡々と警告を流す。
――【観測段階:第二層】
――【異常感覚:強化】
――【因果線歪率:中度】
「視覚だけを信じないで」
シラサギが言う。
彼女は迷いなく進んでいる。
足取りに、一切の躊躇がない。
まるでこの空間に”慣れている”かのようだ。
「この空間は、世界の骨組みを部分的に隠蔽している。見えているものが、存在するとは限らない」
「……ってことは逆もあるってこと?」
カケルが少し考えてから問う。
「ええ。存在していても、見えないものもある」
シラサギは立ち止まり、空中に魔法陣を描いた。
淡い光が広がり、空間が一瞬”軋む”。
――時間の揺れが、わずかに収束する。
「今のは?」
「仮固定。長くは保たない」
(……本当に、慣れてる)
その事実が、カケルの胸をざわつかせた。
●
進むほどに、空間は“悪意”を帯びていく。
壁が、突然透ける。
その奥にあるのは、何もない虚空。
天井からは魔力とも液体ともつかない“雫”が落ちる。
その雫に触れた瞬間、指先の感覚が消えた。
「……っ」
「触らないで。その雫は感覚を“切り取る”わっ!」
シラサギが鋭く注意をした瞬間、影が動いた。
その影は、二人の動きを半拍先取りするように、同じ動作をなぞった。
「……敵?」
「違う」
シラサギが即答する。
「世界の自己防衛反応。ここに入る資格があるかを、試している」
影の攻撃が来る。
シラサギの言っている意味は、半分理解できたが半分は理解できなかった。
それでも、そういうものだと受け入れる。
影の攻撃をカケルは、反射ではなく“予測”で避けた。
線が、未来の軌道を描いている。
――【行動予測 展開】
――【感覚負荷:上昇】
(……見えるほど、消耗する)
タカがいれば、力で押し切れるだろう。
だが今は、情報を処理するのはカケル1人だ。
――【次警告:観測過剰】
頭の奥が、じん。と痛む。
●
やがて、空間が開けた。
巨大な空洞。
そこに浮かぶのは――
無数の“光の箱”。
一つ一つが、
小さな世界の断片。
「……これが」
カケルは言葉を失った。
「世界の試作層」
シラサギが、淡々と告げる。
「管理者たちは、ここで世界を作り、壊し、選別している」
光の箱の中に、見覚えのある景色が一瞬だけ映る。
――学園。
――空。
――誰かの笑顔。
「……フクロウも?」
「ええ。カラスも」
シラサギは、視線を逸らさない。
「この場所に、繋がっている」
カケルは、無意識に手を伸ばしていた。
触れた瞬間――
――【第三層 接近】
――【不可逆変化:局所発生】
視界が、焼ける。
「……っ、これ……!」
「離れて!」
シラサギが、強く腕を掴む。
「まだ早い!それは“越える”選択!」
●
光の箱が、膨張する。
空間が歪み、
時間がねじれる。
上下の感覚が消え、
重力が、意味を失う。
「カケル、意識を固定して!」
シラサギが、無理やり魔法陣を展開する。
結界が張られ、空間が、悲鳴のような音を立てて安定する。
だが――
彼女の肩が、僅かに揺れた。
(……無理してる)
カケルは、観測能力を“抑えながら”使う。
安全なルートだけを抽出し、
最低限の線だけを見る。
二人は、重力が戻る瞬間に、床へ着地した。
●
空洞の中心。
二人は、しばらく言葉を失っていた。
「ここから先……」
カケルが、静かに言う。
失った聴覚。
増えすぎた視界。
戻れないこと。
これら全てのことを、飲み込んで。
「……進むしかない」
シラサギは、わずかに微笑んだ。
「ええ」
そして、はっきりと断定する。
「私は、あなたと行く」
世界の核心へ。
観測者と、最初から知っていた者。
未観測領域の奥で、
“選別”の先にある真実が――
二人を待っている。
