最初は、違和感と呼ぶほどのものじゃなかった。
「……あれ?」
スズランが、空のロッカーを見つめて首を傾げる。
「今日、体操服ここに入れたはずなんだけど」
「別のロッカーじゃないのか」
俺がそう言うと、彼女は首を横に振った。
「ううん。絶対ここ。
昨日も、今朝も」
断言する声に、迷いがない。
結局、体操服は二段下のロッカーから見つかった。
名前も、間違いなくスズランのもの。
「私、寝ぼけてたのかな」
笑って済ませる。
その笑顔に、
ノートは――何も反応しなかった。
赤い文字も、黒い文字も、出ない。
それが一番、不気味だった。
●
二つ目のズレは、授業中。
「白石、そこ答えて」
教師に指されて、スズランが立ち上がる。
「はい。……えっと」
一瞬、言葉に詰まる。
黒板に書かれた問題は、
昨日、彼女と一緒に解いた内容だった。
間違えるはずがない。
「……あれ?」
教室が、ざわつく。
スズランは、問題文を見つめたまま、動かない。
「ごめんなさい。
なぜか、数字が違って見えて……」
教師が黒板を見直す。
「違ってないぞ。
ここは最初からこの式だ」
クラスの何人かが頷く。
俺だけが、
背中に冷たい汗を流していた。
昨日、確かに別の数字だった。
俺の記憶違いじゃない。
ノートを開いて確認したわけでもないのに、
確信があった。
スズランが座るとき、
一瞬だけ俺と目が合う。
困ったような、
少し不安そうな目。
でも彼女は、
何も言わなかった。
●
三つ目は、放課後。
「アスター、ちょっといい?」
スズランが、校門の前で立ち止まる。
「今日さ」
言いにくそうに、指先を絡める。
「私、保健室に呼ばれたんだ」
「……体調悪いのか」
「ううん。
それがね」
小さく首を振る。
「“呼んでない”って言われた」
言葉を、失った。
「でも、確かに放送で名前呼ばれたんだよ?
クラスの子も何人か聞いてたし」
スズランは、困惑しているだけだ。
怖がってもいない。
疑ってもいない。
「変だよね。
最近、こういうの多くてさ」
最近。
その言葉が、胸に刺さる。
ノートの異変が起きてからだ。
「……スズラン」
呼び止めそうになって、やめた。
今ここで何を言っても、
彼女には“理由のない不安”しか残らない。
「ま、いっか」
スズランは笑った。
「大きな問題じゃないし」
その“問題じゃない”が、
一番の問題なのに。
●
家に帰って、俺はノートを開いた。
スズランのページ。
赤い文字はない。
死亡フラグも、事故予測も、存在しない。
代わりに、
灰色の文字が一行だけ増えていた。
【周辺事象:整合性低下】
「……周辺?」
ページの端に、
さらに小さな追記。
【対象本人は影響を自覚しません】
思わず、ノートを閉じた。
自覚しない。
だから、止められない。
ズレるのは、記憶。
位置。
認識。
そしてきっと、次は――
結果だ。
俺のポケットで、ペンが鳴る。
まだ、一本も減っていないはずの
“残り三回”。
なのに。
もう、
世界は勝手に動き始めていた。

