朝のホームルーム。
教室はいつも通り――のはずだった。
「昨日さ」
誰かの声。
「図書室混んでたよな?」
別の生徒がうなずく。
「めちゃくちゃ人いた」
その瞬間。
「え?」
前の席の男子が振り向いた。
「図書室?
昨日閉まってなかった?」
空気が止まる。
「は?」
「いや、先生会議で使うとかでさ」
ざわつきが広がる。
「え、俺普通にいたぞ」
「俺も」
「俺も」
次々に手が上がる。
その一方で。
「いや、入れなかったって」
「張り紙あったじゃん」
真逆の証言。
どちらも本気の顔。
冗談じゃない。
記憶が、ぶつかっている。
「お前ら何言ってんの」
誰かが笑う。
「昨日普通に開いてたろ」
「いや閉まってた」
「開いてた」
「閉まってた」
声が重なる。
机が軋む。
黒板の前で担任が眉をひそめた。
「……静かに」
でも、収まらない。
「いや俺、本借りたし」
「嘘だろ」
「嘘じゃねえよ」
「じゃあレシート見せろよ」
「レシート?」
図書室にレシートなんてない。
会話が破綻する。
俺の背中を、冷たい汗が流れた。
――二重記憶。
昨日。
スズランの記憶が揺れた。
その影響が、周囲にも漏れている。
「なあ」
今度は別の女子。
「昨日、屋上行った人いる?」
心臓が跳ねる。
「屋上?」
「行ってない」
「俺も」
普通の反応。
でも。
「……私」
小さな声。
クラスの端。
誰かが手を挙げる。
「行った気がする」
教室が静まる。
「誰と?」
「わかんない」
その子は困った顔をした。
「夕焼け見てた気がする」
喉が凍る。
スズランが、こちらを見た。
目が合う。
昨日と同じ、あの揺れた瞳。
「でも」
その子は続ける。
「図書室にいた気もする」
ざわっ。
「は?」
「どういうこと」
「両方は無理だろ」
「うん」
彼女は自分の頭を押さえる。
「でも両方ある」
担任が前に出る。
「……体調悪いのか?」
「いえ、大丈夫です」
そう言いながらも、顔色が悪い。
「昨日の記憶が、二つある感じで」
その言葉で。
教室の何人かが、同時に顔を上げた。
「……あ」
「俺も」
「ちょっと待て」
「俺もだ」
空気が一気に変わる。
「俺、昨日バイトだった」
「いや、部活だろ」
「いやバイト」
「部活だって」
怒鳴り声。
笑い声。
混乱。
教室が、ゆっくり壊れていく。
担任が机を叩いた。
「静かに!」
全員が黙る。
でも。
誰も納得していない。
記憶が、二つある。
どちらも本物の感触で。
「……今日のところは」
担任が言う。
「体調悪い奴は保健室行け」
それしか言えない。
説明がつかない。
世界の整合が崩れ始めている。
俺は机の中で、ノートを握った。
スズランのページ。
灰色の文字。
その影響が――
クラス全体に波及している。
「アスター」
小さな声。
ダリアだった。
いつの間にか、隣の席に寄っている。
口元に、いつもの笑み。
「これさ」
彼女は楽しそうに囁く。
「もう“個人の事故”じゃないよね」
背筋が凍る。
「世界のバグ、始まってる」
その言い方。
まるで。
待っていたみたいに。
「ねえ」
ダリアは机の下を覗き込む。
ノートを見ている。
「そろそろ使わないと」
声が甘くなる。
「間に合わなくなるよ?」
チャイムが鳴る。
授業開始。
でも。
誰もノートを開かない。
誰も集中していない。
教室中に漂う、奇妙な沈黙。
同時に存在してはいけない記憶が、
クラスの中で静かに重なっている。
その中心にあるのが――
俺の机の中のノート。

