ノートを開いた瞬間、視界が歪んだ。
――見えた。
赤い文字。
今まで何度も見てきた、あの“終わりの予兆”。
ページはまだ白い。
なのに、そこに“あるはずの名前”が、はっきりと浮かんでいる。
「……嘘だろ」
喉から、掠れた声が漏れた。
俺は、この名前だけは書かないと決めていた。
どんなことがあっても。
見えたとしても、見なかったことにすると。
それなのに。
ノートを持つ手が、震えている。
赤い文字は、いつもより近かった。
“可能性”じゃない。
“回避されなかった未来”の色をしている。
「まだ……だろ」
小さく呟いて、周囲を見回す。
教室は静かだ。
放課後の時間。人影はまばらで、誰も俺に気づいていない。
――今なら、間に合う。
頭の中で、何度も同じ声が繰り返される。
書けば助かる。
書かなければ、終わる。
そのシンプルすぎる二択が、ここまで重いとは思わなかった。
ペンを持つ指が、ページに触れる。
名前の一文字目。
それだけで、胸が締め付けられた。
これは“助ける”行為だ。
今までと同じ。
なのに、同時に理解してしまう。
――これを書いた瞬間、俺はもう戻れない。
ダリアの言葉が、脳裏をよぎる。
『選ばなかった未来も、全部あなたの責任になるんだよ』
スズランの顔が浮かぶ。
何も知らないまま、俺を信じている目。
「……くそ」
ペン先が、わずかに沈む。
インクが滲みかけて、俺は慌てて手を止めた。
まだ書いていない。
でも、“書こうとした”事実だけで、心臓がうるさい。
――本当に、助ける資格があるのか?
俺は、ただ怖いだけじゃないのか。
救えなかった時の罪を、
“選ばなかった”という言い訳で誤魔化したいだけじゃないのか。
ページを閉じる。
強く、強く。
ノートが、やけに重かった。
赤い文字は、閉じたはずなのに消えない。
まるで、次に開く瞬間を待っているみたいだった。
その時――
「……今、何書こうとしてたの?」
背後から、静かな声。
心臓が跳ね上がる。
振り返るより先に、分かってしまった。
このタイミングで、
この距離で、
この問い方をするのは――
逃げ場は、もうなかった。

