屋上は、放課後になると静かだった。
風が強く、金網がかすかに鳴っている。
夕焼けが、すべてを赤く染めていた。
「……来ると思ってた」
アスターは、振り返らずに言った。
背後で、扉が閉まる音がする。
「だって、あの顔だったもの」
軽い声。
楽しげですらある。
ダリアだった。
「事故のあと、ずっと考え込んでたでしょう?
『あれは偶然か、それとも……』って」
「……答えを知ってるくせに」
ダリアが笑う。
「もちろん」
足音が近づく。
アスターの隣まで来て、柵にもたれかかる。
「ねえ、見た?」
「……何を」
「スズランの顔」
その名前を、あえて軽く言う。
「死ぬ直前の、人の顔」
アスターの指が、わずかに強く柵を掴んだ。
ダリアはそれを見て、満足そうに目を細める。
「いい反応だったよ。
あれはね、かなり“良い線”いってた」
「……やめろ」
「事実でしょ?」
ダリアは肩をすくめた。
「棚の角度、床の摩擦、タイミング。
ほんの数センチ、ほんの一拍ズレてたら――」
言葉を切る。
わざと、続きを言わない。
「……成功してた」
沈黙が落ちた。
重たい沈黙だった。
「お前……」
アスターの声が低くなる。
「……人の命を、なんだと思ってる」
ダリアは、少しだけ首を傾げた。
「結果」
即答だった。
「“物語が正しく進んだかどうか”の結果」
「ふざけるな……!」
振り向いた瞬間、
ダリアの表情は、驚くほど真面目だった。
「ふざけてないよ」
静かな声。
「この世界は、
そういうふうに出来てる」
アスターを、真っ直ぐ見る。
「誰かが死ぬことで、
誰かが覚醒して、
誰かが成長して、
誰かが救われる」
「……だから、スズランが犠牲に?」
「“役割”だった、ってだけ」
言い切った。
あまりにもあっさりと。
「彼女はね、本来はここで退場する予定だった。
あなたの“覚悟イベント”として」
アスターの呼吸が、わずかに乱れる。
「でも、あなたがノートで介入したから、ズレ始めた」
ダリアは、楽しそうに言う。
「世界が、あなたを“異物”として認識し始めた」
「……だから事故を起こしたのか」
「うん。修正」
軽く、肯定。
「でも惜しかったなあ。
ほんとに、あと少しだったのに」
夕焼けが、ダリアの瞳を赤く染める。
その色が、あまりにもよく似合っていた。
「……じゃあ」
アスターは、ゆっくりと言った。
「これからも、お前は……」
「もちろん」
重ねるように答える。
「失敗したから、もう一度。
次は、もっと自然に」
「……やめさせる」
「無理だよ」
ダリアは、笑った。
優しくて、残酷な笑みだった。
「だってあなた、もう気づいてるでしょ?」
「……何に」
「“誰かを助けるたびに、別の誰かの確率が上がってる”ってこと」
言葉が、突き刺さる。
アスターの中で、
今まで無視していたデータが、つながっていく。
スズランを守ったあと、
他のクラスメイトのフラグが、微妙に濃くなったこと。
偶然だと思いたかった変化。
「ねえ、アスター」
ダリアが、優しく名を呼ぶ。
「あなたはもう、“選んで”るんだよ」
「……」
「スズランを生かす代わりに、
世界のどこかで、別の誰かが“候補”になってる」
風が強く吹いた。
金網が、がたがたと揺れる。
「事故は、警告」
ダリアは言った。
「世界は、まだ優しい。
“もう一度チャンスをあげるよ”って言ってるだけ」
そして、最後に。
とどめのように、こう言った。
「次はきっと、
もっと上手くやるから」
背筋が、凍る。
それは予告だった。
脅しではなく、確定した未来の宣言だった。
ダリアは、くるりと踵を返す。
「楽しみにしてるね」
振り返らずに言った。
「あなたが、
誰を見捨てるか」
扉が閉まる音がして、
屋上には、アスターひとりが残された。
夕焼けの中で。
世界の構造と、
自分の無力さと、
それでも、やめられない気持ちを抱えたまま。
ポケットの中で、
ノートの角が、わずかに指に刺さった。
まるで、
「次の名前を書け」と催促するように。

