校舎裏は、夕方になると静かになる。
部活の声は遠く、
木々の影が地面に長く伸びている。
スズランは、ベンチに座っていた。
帰るつもりだった。
でも、足が動かなかった。
アスターの言葉が、まだ耳に残っている。
――関わるな。
――来るな。
分かっている。
守ろうとした言葉だということも。
それでも、胸の奥が冷えていく。
「……落ち込んでる?」
その声に、スズランは顔を上げた。
ダリアだった。
いつの間にか、すぐそこに立っている。
影の落ち方が、やけに近い。
「……見てた?」
「うん」
あっさりした返事。
「全部じゃないけど、だいたい」
ダリアは、スズランの隣に腰を下ろす。
距離は、近すぎず、遠すぎず。
でも、逃げられない位置。
「きついよね」
軽い口調。
「守るために突き放されるやつ」
スズランは、何も言わなかった。
否定もしない。
肯定もしない。
ダリアは、スズランの沈黙を楽しむように、空を見上げる。
「でさ」
何気ない調子で続ける。
「まだ、諦めてないでしょ?」
スズランの肩が、わずかに揺れた。
「……なにを」
「全部」
ダリアは、笑う。
「アスターのことも。
あのノートのことも」
スズランは、唇を噛んだ。
「……あんたは、知ってるんでしょ」
「うん」
即答。
迷いがない。
「最初から」
その言葉に、胸がざわつく。
「だったら……」
スズランは、意を決して言った。
「教えてよ」
ダリアは、少しだけ驚いた顔をした。
でも、それは演技だった。
「へえ」
目が、楽しそうに細くなる。
「アスターには聞けなかったのに?」
「……聞けなかった」
正直な答え。
「拒まれたから」
「そっか」
ダリアは、頷く。
「じゃあさ」
少しだけ、声を落とす。
「私が教えてあげよっか?」
スズランの心臓が、跳ねた。
「……条件、ある?」
「もちろん」
ダリアは、微笑む。
それは、優しい顔だった。
でも、どこにも温度がない。
「アスターには、内緒」
スズランは、目を見開く。
「それ……」
「彼、止めるでしょ」
ダリアは、肩をすくめた。
「だって、君を守りたいんだもん」
その言い方が、刺さる。
「でもね」
ダリアは、視線をスズランに戻す。
「守られるだけで、納得できる?」
スズランは、答えられなかった。
「選択肢、あるよ」
ダリアは、指を一本立てる。
「何も知らずに、外にいる」
二本目。
「全部知って、当事者になる」
三本目は、立てなかった。
「中途半端は、ない」
沈黙。
風が、木の葉を揺らす。
「……知ったら」
スズランは、ゆっくり言った。
「戻れない?」
「戻れない」
迷いのない返事。
「絶対?」
「絶対」
ダリアは、にっこり笑った。
「だって、知るってそういうことだもん」
スズランは、膝の上で手を握る。
怖い。
でも――
(……置いていかれる方が、もっと怖い)
「……少しだけ」
声が、かすれる。
「少しだけでも、教えて」
ダリアは、その言葉を待っていた。
「いいよ」
立ち上がる。
「じゃあ、まず一個だけ」
スズランの前に立ち、見下ろす。
「あのノートね」
一拍。
「未来を書き換えるためのもの」
スズランの息が、止まる。
「しかも」
ダリアは、楽しそうに続けた。
「救うために使うと、
だいたい世界が歪む」
「……なに、それ」
「残酷でしょ」
ダリアは、くすっと笑う。
「だからさ」
身を屈めて、耳元で囁く。
「アスターは、必死なんだよ」
スズランの背中を、冷たいものが走った。
「ねえ」
ダリアは、最後に言う。
「知りたいなら、続きを教える」
一歩、離れる。
「でもその代わり」
視線が、鋭くなる。
「君も、選ぶ側になる」
スズランは、夕焼けの空を見上げた。
もう、戻れない場所に
一歩踏み出そうとしている気がした。
(……それでも)
彼を一人にするよりは、いい。
「……分かった」
そう答えた瞬間。
ダリアは、満足そうに微笑んだ。
「歓迎するよ」
その笑顔が、
いちばん危険だと気づくのは、
もう少し先の話だった。

