君だけが俺をユイと呼ぶ~第1話 その名前だけが胸に残る~

君だけが俺をユイと呼ぶ

 入学から三日目。
 クラスに転入してきた美少女は、俺の幼なじみだった。
 ——ただし、俺だけがそれを忘れていた。

「白石かおる。……普通の人には、興味ありません。無理に近づいてくる人は、たぶん……嫌いです」

 教室の空気がぴたりと止まった。
 『うわぁー。これやったな』
 担任すら一瞬、言葉を失っている。
 女子は警戒したようにざわつき、男子の一部はなぜか目を輝かせていた。

 美人、という言葉がそのまま形になったような顔立ちだった。
 まるで作り物のようで見るのが怖い。
 なのに、目を逸らせない。

「じゃあ席は……朝倉の隣な。ほらあそこ。朝倉陽人」
 担任が俺を指さす。

 よりにもよって、俺の隣だった。

 ……いや、だからって俺が何かするわけでもないけど。

「よろしく」

 隣の席に腰を下ろした白石が、こちらを見て言った。
 俺は視線を合わせるのが億劫で、軽く頷いただけだった。

 それだけで十分だと思った。

 ●

 変化が現れたのは、それからすぐのことだ。
 最初は距離を取っていた女子たちが、気づけば白石の周りに集まりはじめた。
 誰かが話しかければ、誰かが笑う。
 輪の中心には、いつも白石がいた。

 ……当然だろうな、と思う。

 顔だけじゃない。
 所作も、声も、雰囲気も、全部が整っている。
 教室のどこにいても、自然と視線を引き寄せる。

 気づけば、俺の席の周りだけが妙に騒がしくなっていた。
 俺はその居心地の悪さから逃げるように、休み時間はいつもトイレへ行くようになった。
 できるだけあの空間から離れるために。
 ——中学の頃から、そうしていれば誰にも踏み込まれなかった。

 「……あ」

 次の授業の教科書、家に置きっぱなしだ……。

 白石に声をかける、という選択肢が浮かぶ。
 けれど初日の言葉が脳裏によぎった。

 教科書を見せてもらうだけでも「嫌い」対象だったらどうする。

 ……いや、さすがにそれはないか。

 意を決して席に戻ると、白石は窓の外を見ていた。

「あの……」

 自分でも驚くくらい、声が固くなった。

「教科書を忘れてしまって。見せてもらってもいいだろうか」

 めちゃくちゃ丁寧な言葉遣いになってしまったのは、自覚している。

 白石は一瞬だけこちらを見て、

「……別に、いいけど」

 そう言って、静かに教科書をこちらへ寄せた。
 そのまま、ぷいっと顔を背ける。

 男子嫌いなのかな。

「君は、何回トイレに行くのかな」

 ぽつり。
 と小さな声が聞こえた気がした。

「え?」

 聞き返すが、白石は何も言わずただ窓の外を見つめているだけだった。

 気のせい、か。

 窓から入り込む春の風が、白石の髪をやさしく揺らす。
 光に透けたその色を見た瞬間——

 なぜだか、胸の奥がチクリと痛んだ。

 懐かしい。
 理由は分からないのに、ただそう思った。
 脳裏には大草原が一瞬浮かんだ気がした……

 ●

 ある日の休み時間。
 俺はいつものように、騒がしい教室から逃げるように席を立つ。

「またトイレ?」

 教室中の空気が、ぴたりと止まった。

 数十人分の視線が、まとめて俺に突き刺さる。
 ”また”好奇の目だ。
 息が詰まる。

「確かにさー、休み時間のたびにいなくない?」
「体弱い系?」

 笑い混じりの声。
 悪意がないぶん、余計にきつい。

「……腹、弱くて」

 それだけ言って、俺は立ち上がった。
 背中に視線を感じたまま、教室を出る。

 ●

「なあ、お前」

 昼休み。
 初めて見る顔の男子が、やたらテンション高く話しかけてきた。

「すげえなお前」

「……なにが?」

「白石だよ。あの白石かおる」

 そう言われて、ようやく気づいた。

 クラス中が、あいつを中心に回っている。

 美人で、無表情で、近寄りがたくて。
 それでも、みんな無理して話しかけている。

「お前だけだろ? あいつから声かけられたの! 一体どんな魔法使ったんだよ」

 そう言われて初めて気がついた。
 よく見れば白石は話しかけられているだけ。
 自分から話すことはなかった。
 あの笑顔は……
 作り笑顔?
 少なくとも俺にはそう見えた。

 もしかして白石――

「……つまらない?」

 言葉が口から零れた。

 白石の肩がわずかに揺れた。

 ゆっくりとこちらを向く。
 その目がまっすぐに俺を捉えた。

 瞬間、俺は息を忘れた。

『こいつの方が魔法使えるんじゃないか? 身動きが取れねぇ』

 なぜだろう。
 初めてまともに見たその顔が、やけに胸に引っかかる。
 またあの光景だ。
 脳裏に広がるのはどこまでも続く草原。
 逆光の向こう側で少年が手を振っている。
「遅いよ、ユイ!」
 
 白石はすぐに視線を逸らす。
 その瞬間、胸の奥がきゅっと縮むように冷えた。

 妙な胸の鼓動を感じながら席に戻る。
 白石はずっと俺のことを見ていたような気がする。
 なんだかその視線が、表情が――
 捨てられた子犬みたいに、すがるような視線で。
 だからかもしれない。
 目を逸らせなかった。

「ユイはズルいな……」

 風に紛れるほどの小さな声。
 その声はどこか震えていた。

「え?」

 振り返っても、白石はもう何も言わない。
 ただ、どこか寂しそうな横顔で窓の外を見ているだけだった。

 なのに、その一言だけが耳から離れなかった。

タイトルとURLをコピーしました