君だけが俺をユイと呼ぶ~第4話 あだ名~

君だけが俺をユイと呼ぶ

 梅雨が終わりかけたころ、クラスで席替えが行われた。

 正直に言えば、白石の隣を離れるのは惜しかった。
 けれど同時に、これ以上変な空気になる前に距離ができるなら、それはそれで助かる――そう思っていた。

 ……はずだった。

「ねえ」

 休み時間、背後から声をかけられる。
 振り返る前から、誰の声か分かってしまうのが厄介だ。

 案の定、白石だった。

 クラス中の視線が一斉に集まる。
 もう慣れた……とは言い難い。

「発表の資料、全然集まってないんだけど?」

「あ、あぁ……」

 共同発表のやつか。
 忘れていたわけじゃないが、進んでいるとも言えない。

「今週中にまとめたいから。今週末、また図書館で」

 断定形だった。
 拒否権は最初から存在していないらしい。

 こうして俺は、二週連続で白石と図書館に通うことになった。

 ●

 待ち合わせ場所に現れた白石は、白いワンピースを着ていた。

 制服のときより、どこか柔らかい。
 教室にいるときの“近寄りがたい美人”という印象が、少しだけ薄れている。

「……どうかした?」

 見すぎていたらしい。
 気づかれてしまった。

「いや、別に」

 誤魔化すように視線を逸らすと、白石は何も言わず歩き出した。

 図書館へ向かう途中、ふいに彼女が口を開いた。

「あのゲームさ」

「……ゲーム?」

「ユイが主人公のやつ」

 胸の奥が、わずかに反応した。

「私的には、ダリアがヒロインだと思うんだよね」

 唐突すぎて、言葉が出てこない。

 あのゲームを知っていることも、
 キャラの名前がすらすら出てくることも、
 なにより――

「ユイはスカーレット派だったよね」

 いやいやいや。ユイって誰だよ。

 困惑して白石を見ていると、

「……やっぱり鈍感だね」

 それだけ言って、白石はすたすたと前を歩いていく。

「お、おい……!」

 追いかけようとした瞬間、

「わっ……」

 前を歩く白石が、縁石に足を取られた。

 反射的に腕を掴んで引き寄せる。

 一瞬、距離が近くなる。

「……ありがと」

 小さく、照れたような声だった。

 教室では見たことのない表情。

 どこかぎこちなくて、
 どこか普通で、
 そして――やけに懐かしい。

「ところでさ」

 白石は何事もなかったように、こちらを見た。

「少しは、思い出してくれた?」

「……何を?」

 本気で分からない。

 白石は、ほんの少しだけ目を細めた。

「……そっか」

 その声は、どこか寂しそうだった。

 数歩歩いたあと、彼女は立ち止まって、振り返る。

「じゃあさ」

 軽い調子なのに、目だけがやけに真剣だった。

「これから、私のこと“コン”って呼んでくれない?」

「……コン?」

「うん。あだ名」

 冗談なのか、本気なのか分からない。

「私は、キミのことをユイって呼ぶから」

 心臓が、一拍遅れて強く打った。

「……それ、簡単に使っていい名前なのか?」

 あの言い方。
 あの記憶の断片。
 白石の中で、ユイという名前が特別なものであることは、なんとなく分かっていた。

「いいの」

 即答だった。

「むしろ、キミだからいい」

「……どういう意味だよ」

 白石は一瞬だけ視線を逸らし、そしてこちらを見た。

「知りたい?」

 空気が、変わった。

 いつもの軽さは消えていて、
 その目は、どこか決定的なものを突きつけてくる。

 ――これを聞いたら、もう戻れない。

 そんな直感があった。

 それでも。

「……知りたい」

 白石はしばらく俺を見つめてから、小さく息を吐いた。

「……じゃあ、連絡先教えて」

 差し出されたスマホ。

 断る理由なんて、最初からなかった。

 連絡先を交換すると、白石は満足そうに頷いた。

「あとさ」

 去り際、振り返って言う。

「あだ名、学校では呼ばないで。二人だけのときだけ」

「……なんで?」

「秘密ってやつ」

 それだけ言って、白石――いや、コンは歩き去っていった。

 こうして俺は、
 “白石”というクラスのマドンナと、
 “コン”というよく分からない少女の二つの顔を知ることになった。

 そして同時に。

 ユイという名前が、
 ますます俺の中で、無視できないものになっていった。

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