場所は、旧校舎の資料室だった。
普段は使われていないせいで、
埃っぽくて、空気が少し重い。
「ここ、好きなんだよね」
ダリアはそう言いながら、窓際の机に腰をかけた。
「人来ないし、声も響かない」
スズランは、ドアの近くに立ったままだった。
「……わざわざここに?」
「うん」
ダリアは、鞄から一冊のノートを取り出す。
あの、見覚えのあるノート。
アスターが肌身離さず持っているものと、同じだ。
スズランの喉が、ひくりと鳴る。
「触らないで」
ダリアは、先に言った。
「見るだけ」
ノートは、机の上に置かれる。
ゆっくり、開かれる。
スズランは、思わず一歩後ずさった。
そこには、びっしりと文字が書かれている……わけではなかった。
ページの大半は、空白。
いくつかの日付。
いくつかの短いメモ。
そして――
名前。
「……少ない」
スズランが呟く。
「でしょ?」
ダリアは、平然と答えた。
「むやみに使うと、すぐ壊れるから」
「壊れる……?」
「世界が」
あまりにも軽い言い方だった。
ダリアは、あるページを指で示す。
「これが、最初の具体例」
スズランは、覗き込む。
そこに書かれていたのは、
クラスメイトでも、友達でもない名前。
他学年の、生徒。
それだけ。
「……この人、どうなったの」
ダリアは、少しだけ間を置いてから答えた。
「小さな事故が起きた」
それ以上、詳しくは言わない。
「命に関わるほどじゃない。
でも、進路が変わるくらいには」
スズランの背中が、冷える。
「それって……」
「“助けた結果”だよ」
ダリアは、にっこり笑った。
「本来なら、もっと大きなことが起きてた」
「……それを、防いだ?」
「そう」
ダリアは、指でノートを軽く叩く。
「でもね」
声が、少しだけ低くなる。
「完全に“なかったこと”にはならない」
スズランは、息を呑んだ。
「世界はさ、帳尻合わせが好きだから」
ダリアは、楽しそうに言う。
「助けた分、どこかで歪む」
「……それって」
スズランは、震える声で言った。
「本当に、助けたって言えるの?」
ダリアは、首を傾げる。
「どうだろ」
考えるふり。
「少なくとも、死んではいない」
「でも……」
「人生は変わった」
ダリアは、あっさり言う。
「それが、最初の例」
スズランは、ノートから目を離せなくなっていた。
「……アスターは」
声が、かすれる。
「これを、何回も?」
「うん」
即答。
「しかも、もっと厳しいやつを」
スズランは、思わず後ずさる。
「それ、重すぎる……」
「でしょ?」
ダリアは、満足そうだった。
「だから、彼は一人で抱え込んでる」
ノートを、ゆっくり閉じる。
「ねえ、スズラン」
ダリアは、真剣な目で言った。
「ここまで見て、どう思う?」
スズランは、すぐに答えられなかった。
怖い。
重い。
間違ってる気がする。
でも――
「……それでも」
ようやく口を開く。
「見捨てるよりは、マシ」
その答えを聞いて、
ダリアの目が、わずかに輝いた。
「うん」
楽しそうに、頷く。
「その考え方、好き」
スズランは、その言葉に嫌な予感を覚えた。
「じゃあ」
ダリアは、鞄にノートをしまう。
「次は、アスターが今まさに抱えてる“選択”を教えよっか」
スズランの心臓が、強く跳ねる。
「それを知ったら」
ダリアは、微笑む。
「もう完全に、同じ側だよ」
資料室を出たとき、
夕方の空は、もう暗くなり始めていた。
スズランは、気づいてしまった。
これは“説明”じゃない。
参加の許可だ。
そして――
(……戻れない)
もう、戻れないところまで来ている。
