どうせ勝てないので、魔王は勇者を楽しませることにしました~第18娯楽~

どうせ勝てない魔王

 王都はやけに明るかった。

 白い石の建物。
 整えられた道。
 掲げられた無数の旗。

 それは「平和の象徴」であるはずだった。

 だが、その中央を歩く勇者の足取りは重かった。

 両手は拘束されていない。
 鎖も檻もない。

 それでも、どこにも逃げ場がないと分かっていた。

 周囲には、王国軍の兵士たち。
 その視線は、尊敬ではなく監視だった。

「……」

 勇者は何も言わなかった。

 言える言葉を、すべて魔王城に置いてきた気がした。

 ●

 王城の最奥。

 円形の広間には、王、貴族、神官、将軍たちが揃っていた。

 空気は冷え切っている。

「勇者よ」

 王が静かに口を開いた。

「貴様の行動について、すでに報告は受けている」

 勇者は顔を上げなかった。

「魔王城への手出しを禁じた」
「討伐部隊の行動を阻害した」
「兵士を庇い、軍の統制を乱した」

 一つひとつ、淡々と読み上げられる。

「……何か、弁明はあるか」

 しばしの沈黙の後、勇者は口を開いた。

「……あそこには、敵はいなかった」

 声は驚くほど静かだった。

 広間の空気が、わずかにざわめく。

「……魔族も、人間も、ただ生きてただけだ」

 誰かが鼻で笑った。

「感情論だな」

「思想に染まったか」

「やはり接触させすぎたな」

 囁きが広がる。

 先ほどまで沈黙を守り続けていた広間が、急に賑やかになる。

 勇者は声を張り上げた。

「……だったら、聞かせてくれ」

 顔を上げる。

 真っ直ぐに、王を見る。

「あそこにいた子どもたちの何が、“討伐対象”なんだ?」

 ざわついていた広場が一瞬にして静まり返る。

 その沈黙は、勇者のいや――元勇者の質問に対する答えを探すための沈黙ではなかった。

 答える必要がない、という沈黙だった。

 神官がゆっくりと前に出る。

「勇者よ」

 柔らかい声だった。

「君は使命を履き違えている」

「……使命?」

「君は、“人を守る者”ではない」

 その言葉に勇者の眉がわずかに動いた。

「君は、“人を導く象徴”だ」

 神官は続ける。

「人々が信じたい“正しさ”を体現する存在。それが勇者だ」

 勇者は黙って聞いていた。

「つまり」

 神官は言った。

「君が何を感じたかなど、重要ではない」

 その言葉は、刃のように冷たかった。

「人々が安心して恐れられる存在であり続けること。それが、君の役割だった」

 だった。と過去形にしている。

 広間の空気が凍りつく。

「……俺は……」

 勇者の声が、わずかに揺れた。

「……人形じゃない」

 その言葉を聞いて神官は、ほんのわずかに目を細めた。

 次に口を開いたのは驚いたことに王だった。

「だからこそ、問題なのだよ」

 広間は凍てつくように凍った。

「貴様は人形だ。それを人形じゃないと言っていること自体が問題なのだ」

 王は冷徹ではないが、感情を持ってはいなかった。

「勇者よ。貴様は役目を果たさなかった」

 淡々と続けられるその言葉は、宣告だった。

「よって――」

 王の声が広間に響く。

「本日をもって、“勇者”の称号を剥奪する」

 一瞬、世界の音が消えた。

 誰かの息遣い。
 衣擦れの音。
 遠くの鐘の音。

 すべてが、現実味を失っていく。

「……は、く……だつ?」

 勇者は、ゆっくりとその言葉を繰り返した。

「もはや、君は象徴に相応しくない」

 神官も王同様に淡々と告げる。

「君はもう、勇者ではない」

 その言葉が、胸の奥に深く沈んだ。

 かつて誰かが誰かに言った言葉と、重なる。

 ――君は、勇者になれなかった。
 ――それだけのことだよ。

 ふと、思い出す。

 魔王城の廊下。
 笑い声。
 選択肢の前で悩んでいた自分。
 「次も選ばせてくれるんだよな?」と、自然に口にしていた自分。

 あそこでは、誰も「勇者」であることを求めなかった。

 ただ、1人の人間として扱われていた。

「……そうか」

 勇者は小さく笑った。

 自分でも驚くほど穏やかな声だった。

「……じゃあ、もう……守らなくていいんだな」

 王も、神官も、その意味を理解しなかった。

 理解しようともしなかった。

 神官は淡々と告げる。

「今後、君は王国の管理下に置かれる。自由行動は認められない」

「……牢か?」

「保護だよ」

 その言い方があまりにも歪んでいて。

 勇者はそれ以上、何も言わなかった。

 ●

 王城の奥深く。

 窓のない部屋に、勇者は一人で座っていた。

 簡素なベッド。
 簡素な机。
 簡素な水差し。

 贅沢ではないが、不自由でもない。

 けれど、それは「居場所」ではなかった。

 ただの、管理された空間だった。

 壁に背を預け、勇者は天井を見上げる。

 魔王城の天井は、もっと高く感じた。
 光の入り方も、風の流れも、すべてが違った。

「……なあ」

 誰もいない部屋でボソリと呟く。

「……そっちは、今頃どうしてる?」

 答えが返ってくるはずもない。

 それでも、胸の奥がじんわりと痛んだ。

 ここでは息が浅い。
 ここでは心が閉じていく。

 ――帰りたい。

 ふと、そんな言葉が浮かんでしまう。

 帰る場所など、もうどこにもないはずなのに。

 それでも。

 あの城のことを思い出すたびに、胸の奥が確かに「生きている」と感じていた。

 その夜。

 勇者は不思議な夢を見た。

 魔王城の廊下を歩いている夢だった。

 三本の通路。
 選択肢。
 笑い声。

 そして、どこからか聞こえてくる声。

「次は、どれにする?」

 目が覚めた時、頬が濡れていた。

 自分が泣いていることに気づいたのは、それからしばらく経ってからだった。

 こうして。

 勇者は“勇者”でなくなった。

 だがそれは同時に――

 初めて、自分自身として生き始めた瞬間でもあった。

 まだ誰も知らない。
 この「元・勇者」という存在が、やがて世界を大きく揺るがすことを。

 この物語が、ここからさらに壊れていくことを。

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